1.本栖湖岸の青木ヶ原溶岩

北麓
コース
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本栖湖岸に残るしま模様の溶岩

 富士五湖の1つ、本栖湖の東岸には、ごつごつとした黒い岩が湖に突き出している場所があります。これは平安時代の貞観噴火(864年)のときに流れ出た大量の溶岩が、本栖湖に入り込んで冷えて固まったもので、他の場所のなだらかな岸辺と対照的な風景をつくっています。
 駐車場から湖岸につくられた遊歩道を通っていくと、この溶岩の上に出られる場所があります。溶岩の表面を見ると、不思議なしま模様がたくさんあるのに気づきます(写真)。これは溶岩流がまだ熱くてかたまっていないときに、内部がお餅のようにふくれあがり、表面が引き伸ばされたためできたしま模様だと考えられています。
 貞観噴火がもたらした「青木ヶ原溶岩」は、現在の精進湖登山道1~2合目付近に開いた2列の割れ目火口から2ヶ月以上にわたって流出しました。このうち、北西方向に流れ下った流れが、本栖湖の東岸に流れ込んで扇形に広がったのです。

ボーリングで明らかになった「せのうみ」の深さと形

 貞観噴火についての文字による記録は、当時の朝廷が編纂(へんさん)した歴史書『日本三代実録』に収められた報告が信頼できる唯一のものです。それによると、貞観6年5月25日(864年7月2日)、駿河国から朝廷に届いた第一報では、「十数日前から富士山が噴火し、流出した溶岩が本栖湖に流入した」とあります。さらにその約2ヶ月後に甲斐国から届いた第二報では、溶岩が本栖湖と「せのうみ」の2湖に流入した、とあります。

 ここに出てくる「せのうみ」とは、いまは存在していない湖ですが、青木ヶ原溶岩の分布調査などの結果、かつて本栖湖の北東側に「せのうみ」と呼ばれる大きな湖があり、それが貞観噴火の溶岩流の流入によって2つに分断されて、精進湖と西湖に分かれたことがわかってきました。
 この「せのうみ」ですが、もとの深さや形はどのようなものだったのでしょうか。富士砂防事務所では、貞観噴火の溶岩流の量を推定して今後の火山防災に役立てる目的で、「せのうみ」が存在していたと考えられる精進湖と西湖の中間地点で、深さ160mまでボーリング調査を行いました。その結果判明した溶岩の厚さや組成、溶岩の下から発見された噴火前の湖底の地層、さらに地形や地質の調査などから、貞観噴火当時の「せのうみ」の姿がほぼわかってきました。

 それによれば、「せのうみ」は東西8km以上の細長い湖で、湖面の標高は894m(現在の西湖・精進湖の湖面標高は約900m)、水深は約70mあったと推定されます。なお、精進湖と本栖湖の間には、貞観噴火以前の古い溶岩がところどころで確認されていることから、精進湖と本栖湖は、貞観噴火よりも前に分離していたことがわかっています。


 前述のように、精進湖と西湖は、もとは同じ「せのうみ」の一部でした。貞観噴火がもたらした「青木ヶ原溶岩」の流入によって「せのうみ」の中央部分が埋まった結果、西の端に残った湖が精進湖、東の端に残った湖が西湖です。
 精進湖は富士五湖中もっとも小さい湖で、本栖湖と同様、溶岩流の跡が複雑な湖岸の地形を形成しています。ちなみに精進湖から見える富士山は、側火山の大室山を正面に抱くような姿に見えるため「子抱き富士」とも呼ばれています。一方、西湖は澄んだ青色の湖面が印象的で、南西側には青木ヶ原溶岩の上に生育した広大な森林、青木ヶ原樹海が迫っています。

周辺散策MAP

現地(本栖湖)までの交通

(1)中央自動車道河口湖インターから国道139号線(富士パノラマライン)を西湖・本栖湖方面へ約30分、国道300号を右折すぐ
(2)東名高速道路富士インターから西富士道路を経由し国道139号を本栖湖方面に約50分、国道300号左折すぐ

バス

富士急行富士吉田駅・河口湖駅から富士急行バス本栖湖行き約50分「本栖湖」バス停下車

本栖湖と青木ヶ原溶岩の情報はここでも調べられます

■静岡大学教育学部総合科学教室

http://sk01.ed.shizuoka.ac.jp/koyama/public_html/Fuji/fujiQ%26A/fujiQ%26A.html

■財団法人 消防科学総合センターHP

http://www.isad.or.jp/cgi-bin/hp/index.cgi?ac1=IB17&ac2=70fall&ac3=1933&Page=hpd_view

※HPに関する情報は、2009年2月現在のものです。HP製作者等の都合・事情等によって閉鎖・更新されるなど、ご覧になれない可能性もございますことをご承知おきください。

■交通などのお問い合わせ
富士河口湖町役場 TEL.0555-72-1111