4.土砂の流出と山麓のくらし

噴火後の土砂災害発生のしくみ

 火山の災害は、溶岩流や火砕流、火山ガスなど、火山活動による直接的な災害(一次災害)だけではありません。むしろ、噴火後に発生する土石流などの土砂災害の方が、長期間にわたって深刻な被害を地域に及ぼします。
 噴火によって放出された火山灰や火山れきは、山の斜面に大量に堆積します。すると降った雨は地面にしみこみにくくなり、地表面を流れてしまいます。流れる水は斜面の堆積物を削りとり、水と一緒に下流に押し流します。こうして土石流が発生したり、川に流れ込んだ土砂が河床を上昇させて洪水が起こったりするのです。また、降灰によって草や木が枯れ、山の保水力がなくなった結果、土砂が流れやすくなるということもあります。

宝永噴火後の酒匂川(さかわがわ)の洪水

 江戸時代の宝永噴火(1707年)では莫大な量の火山れき・火山灰が噴出し、偏西風に乗って富士山の東側一帯に積もりました。これらの堆積物は河川をせき止め、小型の土砂ダムをいくつもつくりました。
 噴火の翌年8月、大雨でこれらのダムが決壊し、多量の土砂を含んだ洪水が発生しました。とくに酒匂川の洪水は大規模で、ふもとの足柄平野を一面、泥の海に変えたといわれます。これによって河床があがった酒匂川は、以後頻繁に洪水を繰り返し、足柄平野は宝永噴火ののち30年以上も被害を受け続けました。

いまも崩れ続ける「大沢崩れ」と土砂災害

 富士山の西側斜面に、大きな傷口のように見えるのが大沢崩れです。山頂直下から標高2200m付近まで、長さ2.1km、最大幅500m、最大深さ150mの日本最大級の崩壊地です。
 大沢崩れができた時期は明らかではありませんが、地層や下流の堆積物からみると、1000年前にはすでに相当大きな谷であり、活発に土石流が発生していたと推定されます。
 大沢崩れは、もろいスコリアと硬い溶岩層が交互に重なり合って層をつくっています。雨や風などでもろいスコリアが流れ出し、次にむき出しになった溶岩が崩れ落ちることで、次第に崩壊が拡大していきます。
 崩れた岩や砂はいったん谷底にたまり、大雨が降ると土石流となって大沢川を流れ、大沢扇状地にたまります。扇状地に堆積した土砂は再び豪雨や雪解け水などで下流の潤井川へと流れ下り、潤井川の河床を上昇させて洪水を引き起こしたり、田子の浦に流れこんで港に土砂を積もらせたりします。こうして大沢崩れの土石流は、昔から山麓に大きな被害をもたらしてきたのです。
井川の河床を上昇させて洪水を引き起こしたり、田子の浦に流れこんで港に土砂を積もらせたりします。こうして大沢崩れの土石流は、昔から山麓に大きな被害をもたらしてきたのです。

富士山で繰り返されてきた土石流

 富士山では、台風期や梅雨時、融雪期などに、堆積していた火山灰や火山れきなどが雨や雪解け水と混じり、土石流となって流れ出し、ふもとの地域にたびたび大きな被害を与えてきました。
 土石流の中でも、冬の初めや春先に発生する雪解け水を大量に含んだ土石流を、富士山では雪代(ゆきしろ)と呼んでいます。雪代はときとして山麓の集落にまで到達し、村を埋めつくしてしまうこともあります。
 江戸時代の天保5年(1834年)に発生した雪代では、富士宮近辺の村々が一瞬にして泥海と化してしまいました。人馬の死亡も相次ぎ、農民たちは家屋や田畑を一度に失ってしまいました。
 戦後では昭和47年(1972年)5月に大沢崩れ源頭部で発生した雪代が、堆積していた火山噴出物を巻き込み、大土石流となってふもとを襲いました。土砂は潤井川から河口の田子の浦港にまで至りました。
 さらにこの年は6月、7月と繰り返し土石流が発生し、7月の土石流では潤井川が氾濫しました。住民は避難を余儀なくされましたが、幸いこのころには砂防施設も整い、人命に被害はありませんでした。
 また、昭和54年(1979年)の4月、5月に大沢川で土石流が発生、さらに10月には潤井川、足取川、風祭川、弓沢川、凡夫川、伝法沢川、小潤井川、和田川、滝川、赤渕川等多くの川で被害が発生しました。

大沢崩れの土石流から山麓を守る

 大沢崩れではいまも崩壊が続き、年平均15万m3、10tトラックにして約3万台分の土砂が流出しています。
 火山は噴火によって成長したり崩壊したりを繰り返し、やがて活動を終えれば風雨によって浸食され、崩れていきます。大沢崩れは、そうした人間の力の及ばない大自然の現象の一つであり、これを根本的に「止める」というのは大変困難です。
 しかし、大沢崩れから発生する土石流を食い止め、麓に被害が及ばないようにすることは可能です。
 大沢扇状地では、富士砂防事務所によって、土石流を堆積させ、その勢力を弱めるための遊砂地や、遊砂地に安全に土石流を導くための導流堤、土砂をとらえる樹林帯などの整備が進められています。また、下流の潤井川でも、洪水によって川底や両岸が削られないように、コンクリート3面張りのしっかりした流路がつくられています。
 このような砂防工事の結果、いまでは大沢崩れで土石流・雪代が発生しても、それが下流に影響を及ぼすことは、ほとんどなくなりました。