3.貞観噴火と宝永噴火

山麓の地形を変えた「貞観噴火」

 奈良~平安時代ころ(8~11世紀)の富士山は活発に活動していたようで、数十年に一度程度の噴火記録が残されています。その中でも864年(貞観6年)の「貞観(じょうがん)噴火」は、大量のマグマを噴出し、溶岩流がふもとの地形を変えてしまうほど大規模なものでした。
 864年(貞観6年)6月中旬、富士山北西麓の一合目から二合目付近にかけて割れ目噴火が起こりました。数箇所から真っ赤な溶岩流があふれ出し、2か月以上に渡って扇状にひろがり、ふもとの湖にも流れ込みました。
 貞観噴火で流れ出た溶岩は「青木ヶ原溶岩」と呼ばれ、青木ヶ原樹海はその溶岩のうえに発達した大森林です。

青木ヶ原樹海

 富士山北西麓に広がる約3000ヘクタールの原生林「青木ヶ原樹海」は、貞観噴火で流出した溶岩流の上に、長い年月をかけて草木が芽吹き、樹林が形成されたものです。ごつごつした地盤を這うように根が育ち、独特の雰囲気がただよっています。
 樹海の中では、富岳風穴、鳴沢氷穴などの溶岩トンネル(溶岩流の周囲が冷え固まった後に、まだ溶けていた内部が流れ去ってできた空洞)や、溶岩樹型(溶岩が樹木をとりこんで固まり、取り込まれた樹木が燃えて空洞になったもの)を見ることができます。

富士五湖

 富士五湖は、富士山の噴火で流れ出した溶岩が川をせき止めてできた湖です。噴火のたびに少しずつ形を変えてきましたが、貞観噴火による地形の変化はそれまでのどの噴火より大きいものでした。
 現在は5つの湖がありますが、貞観噴火以前は4つで、現在の本栖湖、河口湖、山中湖のほかに、北西麓の本栖湖と河口湖の間に「せのうみ」と呼ばれる巨大な湖がありました。貞観噴火で噴出した大量の溶岩流は「せのうみ」の大部分を埋めて分断し、小さな2つの湖を残しました。これが精進湖と西湖です。また、溶岩流は本栖湖にも流れ込み、東側の一部を埋めました。
 本栖湖、精進湖、西湖では、このときの溶岩流のあとを見ることができます。

江戸に灰を降らせた「宝永噴火」

 富士山の一番最近の、そして有史以来もっとも激しい噴火が、江戸時代の宝永噴火です。
 1707年(宝永4年)12月16日、富士山南東山腹の五合目付近から轟音とともに黒い噴煙が渦を巻いて立ち上り、大噴火が始まりました。
 きわめて爆発的な噴火で、はじめは軽石、後に黒色のスコリアと呼ばれる火砕物が大量に噴出しました。富士山の東麓に点在する村々では降り注ぐ噴石や火山れき・火山灰で家や田畑が埋まり、特に噴火地点に近い須走の集落は壊滅状態となりました。須走に降った噴石は大きいものだと直径20?あり、火山れき・火山灰の厚さは2mにも及んだといいます。
 噴火は16日間続き、噴煙は高度1万mを超えました。火山灰は江戸でも数?積もり、千葉県北部でも降灰が記録されました。
 富士山を静岡県側から見上げると、山体の右側に大きなくぼみがあり、その隣に小山が見えます。このくぼみは「宝永火口」、小山は「宝永山」で、いずれも宝永噴火のときにできたものです。「宝永火口」は第1火口、第2火口、第3火口の3つが北西~南東方向に並んでいます。

宝永噴火の前ぶれとなった「宝永東海・南海地震」

 宝永噴火には、前兆と思われる異変が起こっています。1707年(宝永4年)10月28日に、震源域が東海から紀伊半島、四国沖にまで及ぶ巨大地震が発生しました。宝永東海・南海地震と呼ばれ、マグニチュードは8.7と推定されています。
 宝永地震の起きた頃から、富士山で怪しい鳴動や小地震が感じられるようになりました。地震から48日後の12月15日午後、ついに本格的な群発地震が始まり、夜に入って有感範囲を拡大していきました。翌日の16日には雷のような山鳴りと地震が、明け方からひっきりなしに続いたといいます。そして午前10時ごろ、強い地震と鳴動を伴って大噴火が始まったのです。

江戸幕府の要人が記した宝永噴火

 宝永噴火の様子は、江戸幕府の要人たちが記録に残しています。幕府の旗本、伊東祐賢(すけかた)は、自筆の日記『伊東志摩守(しまのかみ)日記』に、刻々と変わる噴火の様子を克明に記しており、宝永噴火の貴重な記録となっています。
 新井白石の著書『折たく柴の記』にも、「よべ地震ひ、此日の午後雷の声す。家を出るに及びて、雪のふり下るがごとくなるをよく見るに、白灰の下れる也。西南の方を望むに、黒き雲起りて、雷の光しきりにす。西城に参りつきしにおよびては、白灰地を埋みて、草木もまた皆白くなりぬ??」と、噴火の際の地震や降灰が江戸に及んだことが記されています。

宝永の杉

 御殿場市柴怒田(しばんた)の子の神社には、樹齢700年といわれる杉の巨木があります。樹高は33m。宝永噴火の際、火山灰や火山れきが枝に降り積もったといわれ、以来「宝永の杉」と呼ばれています。

太郎坊のスコリア層

 御殿場口登山道の起点となっている太郎坊には高さ10mあまりの崖があり、地層断面が露出しています。富士山の噴出物が層になって堆積しており過去およそ4000年間の噴火史を目の当たりにすることができます。最上部の厚さ約2mの黒色スコリア層(最下部に白色の軽石層あり)が、宝永噴火の際に降り積もりました。