4.鮎壺の滝と三島溶岩の溶岩塚

南麓
コース
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三島溶岩がつくった鮎壷の滝

 沼津市と長泉町の境を流れる黄瀬(きせ)川、その中流にかかる滝が鮎壺(あゆつぼ)の滝です。鮎壺の名は、ここで鮎の遡上が止められ、滝つぼに群れていたことに由来するといわれています。平成8年には天然記念物として県の指定を受けています。高さは約9m、幅は約65m。水量も豊かで、滝が何本にも分かれて流れ落ちる迫力ある景観が見られます。
 滝の周囲は鮎壺公園として整備され、春には滝と富士山、そして桜が一望できる絶景ポイントとして、お花見の名所にもなっています。鮎壺の滝は、地質学的には約1万年前に富士山から流出した三島溶岩と、愛鷹ローム層の境界に位置します。三島溶岩は粘りけの少ない玄武岩の溶岩流で、黄瀬川の流れに沿って谷を埋めながら流下しました。
 鮎壺の滝は、この谷を埋めた溶岩流の南西端にあたり、ここから下流には谷の壁をつくっていた愛鷹ローム層が分布していました。このため、柔らかいローム層が先に浸食され、残された固い溶岩流が滝をつくったのです。
 滝つぼでは三島溶岩の断面を観察できます。溶岩流の下には愛鷹ローム層の一部と思われる黄褐色ロームの地層があります。また溶岩流の底面には、複数の溶岩樹型が見られます。

三島溶岩を流出したころの富士山

 富士山は10万年ほど前から何度も噴火を繰り返して現在の形となりましたが、約1万年前以前を古富士火山、それ以降を新富士火山と呼んで区別しています。
 新富士火山の初期には、山頂や山腹の割れ目火口からきわめて大量の玄武岩溶岩が流出しました。特に1万年前ころの溶岩は粘りけが小さく、ハワイの溶岩のように薄くて広がりやすい溶岩が次から次へと流れ出したのです。その一部は愛鷹山の東側を回り、箱根火山の西麓との間を南下して、黄瀬川ぞいを流れ下り、先端が現在の三島周辺に到達しました。この溶岩流を三島溶岩と呼びます。三島溶岩の一枚ごとの溶岩の厚さは1m程度ですが、何枚も積み重なっているため、三島市南方の狩野川付近では全体で50 m以上の厚さがあります。
 約1万年前~8000年前の富士山の溶岩全体をまとめて「旧期溶岩」と呼んでいます。古富士火山の末期にはたびたび大規模な山体崩壊が発生し、富士山はかなりいびつな形になっていたと思われます。しかし、新富士火山の全噴出物の80%あまりを占める約40立方kmの旧期溶岩が流出し、ふもとまで流れ下った結果、いびつな崩壊箇所が溶岩で埋め立てられると同時に、現在みられる広大な山麓の基礎が作り上げられたのです。

三島溶岩の溶岩塚

 溶岩塚とは、噴火で流れ出した溶岩流の表面が冷え固まり始めているとき、まだ流れようとする周囲の溶岩に圧迫された結果、固まった表面の一部が押し上がって小さな丘になったものをいいます。かつて三島溶岩の表面には多数の溶岩塚がありましたが、その多くは造成工事などによって取り去られてしまいました。現在、鮎壺の滝の東500m付近にある稲荷神社(静岡県長泉町)に残る溶岩塚は三島溶岩が形成した溶岩塚の貴重な例です。
 この溶岩塚の高さは5m程度であり、ドーム状に盛り上がって放射状の亀裂ができており、亀裂の内部に小道がつくられて歩けるようになっています。亀裂の断面には、溶岩が流れたときにできた縞や、溶岩の中に含まれていた火山ガス成分が気化してできた気泡が多数見られます。



 楽寿園は三島市立の公園で、その庭園は国の天然記念物に指定されています。ここでは縄状溶岩(溶岩流がまだ流動性を保っている時に、その表面にしわが寄って縄が連なったようになった構造)などの、三島溶岩の特徴的な構造を見ることができます。

周辺散策MAP

現地までの交通

電車

JR御殿場線下土狩駅下車、徒歩約10分

東名沼津ICより約4km、約7分

バス

(1)JR三島駅より富士急行バス下土狩経由沼津行き約15分「南小林」バス停下車
(2)JR沼津駅より富士急行バス下土狩経由三島行き約20分「南小林」バス停下車

鮎壷の滝の情報はここでも調べられます

■ながいずみ観光交流協会

http://www.kanko-nagaizumi.com/index.html
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